人麿没後まもない神亀年間(724〜729)に、聖武天皇の勅命により終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられましたが、万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈みました。ご神体は現在の高津松崎にまで流れてきたので、そこで新たに人丸社を建てることとしました。
600年後、 高津松崎の人丸社は風波のため破損がひどくなったため、津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築されました。そのため拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。どっしりとした風格の本殿は入母屋造(いりもやづくり)の県指定建造物文化財です。正一位柿本大明神の神位を持ち、 開運、学問、産業、農業、安産、眼疾治癒、 疫病防除、火防などのご利益があります。
毎年9月1日には八朔(はっさく)祭があり、古式豊かな流鏑馬(やぶさめ)神事が近くの高津川河川敷で催されます。高角橋から神社までの参道は露天商が並び、とても賑わいます。
柿本神社御法楽御短冊(国認定重要美術品)
柿本神社本殿(県指定文化財)
所在地
益田市高津町イ2612−1
益田市HPより引用